2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪への出場が内定し、今最も注目を集めるカーリング女子日本代表「フォルティウス」のスキップ、吉村紗也香選手。
長年の努力が実を結び、初の夢舞台を目前に控えた吉村選手ですが、その活躍の裏には地元・北海道を拠点とした強力なバックアップ体制があります。
今回は、吉村選手のこれまでの輝かしい経歴を振り返りつつ、現在の活動拠点やスポンサーについての情報などをお届けしていきます。
吉村紗也香選手を支える「今」を知ることで、五輪での戦いがもっと面白くなります!
ぜひ最後までごらんください
カーリングの吉村紗也香が積み重ねてきた経歴
カーリングの吉村紗也香が積み重ねてきた経歴
5度目の挑戦で掴んだ悲願のオリンピック切符
吉村選手が初めてオリンピックという目標を意識したのは、高校生の時でした。しかし、そこからが長い道のりでした。
バンクーバー五輪代表決定戦(2010年): 高校生スキップとして「チーム青森」と対戦するも、敗退。
ソチ五輪(2014年)、平昌五輪(2018年)、北京五輪(2022年): その後も挑戦を続けましたが、あと一歩のところで出場権を逃し続けてきました。
悲願達成: 33歳となった2025年12月の世界最終予選で、ついにミラノ・コルティナ2026冬季五輪への出場枠を獲得。初挑戦から16年、5度目の正直で掴んだ夢の舞台への切符は、地道な努力が必ず報われることを証明しました。
ライバルとの切磋琢磨: 特に、同郷で同学年の藤沢五月選手(ロコ・ソラーレ)という強力なライバルの存在は、吉村選手にとって常に刺激であり、自身の技術を磨き続ける原動力となりました。
チーム存続の危機を乗り越えた、再出発までの道のり
吉村選手のキャリアで最も苦しい時期の一つが、2021年の出来事でした。
スポンサー契約終了: 長年活動を支えてきた北海道銀行との契約が終了。チームは活動資金の目処が立たないという存続の危機に直面しました。
「自分たちでやるしかない」: チーム「フォルティウス」として独立を決意した吉村選手たちは、自分たちで運営会社を立ち上げ、スポンサー探し、クラウドファンディングなど、競技とは異なる「泥臭い」活動にも積極的に取り組みました。
不屈の復活: こうした地道な努力で活動基盤を立て直し、2025年2月の日本選手権では見事優勝。逆境を乗り越えたチームは、以前にも増して強固な結束力を手に入れました。
ママアスリートとしての新たな「積み重ね」
競技人生の後半には、アスリートとしての新たな挑戦も始まりました。
出産と復帰: 2023年12月に長男を出産。一時は競技から離れましたが、「競技復帰には覚悟が必要だった」と語りつつも、産後わずか2ヶ月で氷上練習に復帰しました。
育児と競技の両立: 完璧を求めず、周囲のサポートも受けながら育児とトレーニングを両立させる日々。この経験が、吉村選手の精神面にも良い影響を与え、「以前よりどっしりと構えられるようになった」と語っています。
吉村紗也香選手とフォルティウスのオリンピック特集の動画はこちら↓
吉村紗也香の経歴とプロフィールのまとめ
吉村紗也香選手のプロフィールと、これまでの地道な歩みを象徴する経歴を一目でわかる表にまとめました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名(読み) | 吉村 紗也香(よしむら さやか) |
| 出身地 | 北海道常呂郡常呂町(現・北見市) |
| 現所属先 | 社会医療法人柏葉会(職員として雇用) |
| 生年月日 | 1992年1月30日 |
| 身長 | 162cm |
| 体重 | 53kg |
| 血液型 | 非公表 |
| 学歴 | 札幌国際大学 卒業 |
| 家族構成 | 夫、長男の3人家族(実家はカーリング一家) |
| 結婚の有無 | 既婚(2020年に結婚、2023年12月に第1子出産)※相手は「一般男性」といわれる |
| 主な所属チーム | 常呂高校 → 札幌国際大学 → 北海道銀行フォルティウス → フォルティウス(独立) |
| 競技実績(地道な積み重ね) | ・2000年代後半:ジュニア時代から頭角を現し、日本ジュニア選手権3連覇 ・2011年:北海道銀行フォルティウス結成に創設メンバーとして参加 ・2021年:日本選手権優勝、MVP獲得。しかし五輪代表決定戦で敗れる ・2023年:出産を経て、わずか数ヶ月で氷上へ復帰 ・2025年:日本選手権優勝、世界最終予選を勝ち抜き2026年ミラノ・コルティナ五輪代表内定 |
現在の拠点やスポンサーは?
吉村選手とフォルティウスの現在の拠点やスポンサーは?
現在の活動拠点:北海道・札幌から世界へ、地域密着型の挑戦
吉村紗也香選手と所属チーム「フォルティウス」の現在の活動拠点は、北海道札幌市にあります。吉村選手の出身地である北見市常呂町から始まったカーリング人生が、北海道の中心都市で新たな花を咲かせています。
- 練習環境の詳細: チームは主に札幌市内のカーリング場「どうぎんカーリングスタジアム」などを利用し、日々氷上の感覚を研ぎ澄ませています。北海道というカーリングが盛んな地域性を活かし、質の高い練習環境を確保しています。
- 地域とのつながり: 拠点を札幌に置いて以降、地元のイベントへの参加や、札幌市長への五輪内定報告(2026年1月)など、地域住民との交流も活発に行っています。「札幌から世界へ」を合言葉に、地元からの熱い声援を直接感じながら活動を続けています。
スポンサーによるバックアップ:安定した「雇用」と地域企業の支え
2021年に北海道銀行のスポンサー撤退という大きな危機を経験したチーム「フォルティウス」ですが、その逆境を乗り越えた原動力こそ、現在の強固な支援体制です。
地域に根ざしたスポンサー多数:
チームの運営会社である「株式会社PASSPORT」を通じて、柏葉会以外にも多くの地元北海道企業がスポンサーとして名を連ねています。これら企業の支えは、チームが独立後も質の高い運営を維持し、国内外の遠征費などを賄う上で欠かせないものです。
社会医療法人 柏葉会のバックアップ:
最大の支援パートナーは、札幌市で病院(柏葉脳神経外科病院など)を運営する「社会医療法人 柏葉会」です。これは単なるスポンサー契約ではなく、吉村選手を含むチームメンバーは同法人の「職員」として正式に雇用されています。
この体制により、選手たちは安定した給与を得ながら、勤務時間の一部を練習や大会遠征に充てることが可能となりました。生活の不安なく競技に集中できるこの環境は、地道な努力を続けるアスリートにとって非常に重要です。
社会医療法人 柏葉会による吉村選手とカーリング施設の紹介動画はこちら↓
吉村紗也香にまつわるトリビア3選
トリビア1:実家は「カーリング一家」! 家族全員が競技経験者
吉村選手がカーリングを始めたのは小学5年生の時ですが、実は実家が「カーリング一家」として知られています。
- 父も母も: 両親ともにカーリングの経験者です。
- 姉も選手: 2歳年上の姉、吉村育代さんも元カーリング選手で、かつては一緒にチームを組んでプレーしていました。
実家のある北見市常呂町はカーリングが非常に盛んな地域ですが、その中でも吉村家は特にカーリングに深く関わっており、自然と競技が身近にある環境で育ちました。
トリビア2:同学年・同郷の藤沢五月選手とは「永遠のライバル」
ロコ・ソラーレのスキップである藤沢五月選手とは、切っても切れないライバル関係にあります。
- 同い年: 2人とも1991年度生まれの同学年です。
- 同郷: 同じ北見市常呂町出身です。
ジュニア時代から常にトップを争ってきた2人。吉村選手が北海道銀行に所属していた頃は、日本選手権の決勝で何度も激突しました。藤沢選手が先にオリンピックで活躍する姿を見て、吉村選手は「自分もいつか」と奮起。この長年にわたる良きライバルの存在が、お互いを高め合ってきたと言えるでしょう。
トリビア3:大学時代にすでに関西電力からスカウトされていた
実は、吉村選手は大学卒業時、現在藤沢選手が所属している中部電力(当時、中部電力カーリング部)と同じように、電力系の実業団チームからも誘いを受けていました。
しかし、吉村選手は地元の北海道に残ることを選択。それが、2011年に創設された北海道銀行カーリングチームへの加入という道でした。もし当時、関西電力(中部電力の前身チーム)への入団を選んでいれば、今とは全く違うキャリアになっていたかもしれません。
この「地元北海道で挑戦する」という選択もまた、彼女の地道で芯のある生き方を表しているエピソードです。
まとめ
今回は「カーリングの吉村紗也香が積み重ねてきた経歴。現在の拠点やスポンサーは?」のテーマでお届けしました。
16年という歳月をかけて五輪の「あと一歩」の壁を崩し続けてきた吉村選手。その歩みは決して平坦ではありませんでしたが、出産やチーム独立といった人生の大きな転機を一つひとつ糧にしてきました。
そして、地元・札幌の「社会医療法人 柏葉会」をはじめとする多くのスポンサー、そして何より温かいファンの支援を受け、現在、最高に充実した状態で氷上に立っています。
33歳で初めて掴み取った2026年ミラノ・コルティナ五輪の舞台。母として、スキップとして、そして一人のアスリートとして、吉村選手がこれまで地道に積み重ねてきた全てを出し切る姿を、私たちも全力で応援していきましょう!
最後までご覧下さりありがとうございました
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