日本を代表するトップアスリートとして、かつて世界を魅了した村主章枝(すぐり ふみえ)さん。その「天才的」と称された歩みは、引退後、誰もが予想しなかった方向へと進んでいました。
彼女がいま情熱を注ぐ「映画製作」という新たな舞台。その裏側には、常に彼女の背中を押し続けてきた家族の存在、そして海を越えた異国の地での拠点がありました。
彼女を突き動かすものは一体何なのか、その軌跡を辿ります。ぜひ最後までご覧ください
村主章枝の天才的な経歴。
村主章枝の天才的な経歴とは
村主章枝さんの経歴が「天才的」と称される理由は、当時のトップフィギアスケーターとして、単なる成績以上に、日本フィギュア界の「表現力の概念を変えた」点にあります。
「氷上のアクトレス」という唯一無二のブランド
彼女は、それまでの技術偏重だった日本の女子フィギュア界において、指先一つ、視線一つで物語を紡ぐ圧倒的な表現力を確立しました。海外メディアからも「氷上のアクトレス」と称賛され、彼女の代名詞となったプログラム『月光』などは今なお語り継がれる伝説です。
驚異的な「勝負強さ」と実績
全日本選手権で5度の優勝を誇り、ソルトレイク(5位)、トリノ(4位)と2大会連続で五輪入賞を果たしました。特に2003年の世界選手権で銅メダルを獲得し、日本女子として11年ぶりの表彰台に立った功績は、後の「日本女子黄金時代」を切り拓く先駆者的な役割を果たしました。
異例の「現役続行」という執念
33歳という、当時のトップ選手としては異例の年齢まで現役を続行しました。スポンサーを自ら探し、資金難に直面しても「スケートが好きだから」という純粋な理由でリンクに立ち続ける姿は、多くのファンに勇気と感動を与えました。
境界を超えた「表現者」への転身
引退後はその表現力を武器に、ラスベガスやダラスを拠点に映画プロデューサーとしてのキャリアをスタート。アスリートからクリエイターへ、国境もジャンルも軽々と飛び越えるその生き方こそが、彼女が「天才的」と評される所以です。
村主章枝さんがトップスケーターに登り詰めるまでについて語る動画はこちら↓
村主章枝の経歴とプロフィールのまとめ
村主章枝さんのプロフィールと、その後の多彩な経歴を一つの表にまとめました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 村主 章枝 |
| 読み | すぐり ふみえ |
| 生年月日 | 1980年12月31日 |
| 年齢 | 45歳(2026年2月現在) |
| 出生地 | 千葉県千葉市 ※3歳から5歳までアラスカで過ごす |
| 出身地 | 神奈川県横浜市鶴見区 |
| 身長 / 体重 | 157cm / 44kg(現役時公表) |
| 学歴 | 清泉女学院中学高等学校 卒業 早稲田大学教育学部 卒業 |
| 家族構成 | 父(元JALパイロット)、母(元CA)、妹(村主千香)※元プロスケーター |
| 結婚の有無 | 独身(2023年に「結婚に興味がない」と公表) |
| 主な競技実績 | 五輪2大会連続入賞(ソルトレイク5位・トリノ4位)、全日本選手権 優勝5回 |
| 現在の活動 | 映画プロデューサー、フィギュアスケート振付師・コーチ |
| 現在の拠点 | アメリカ・テキサス州ダラス(2025年末にラスベガスから移動) |
| 会社経営 | 2019年に映画制作会社「MonkeY Teer Entertainment」を設立 |
現在の映画製作を支える家族の存在や拠点とは?
現在の映画製作を支える家族の存在や拠点とは?
「氷上のアクトレス」から「映画プロデューサー」へ
村主章枝さんが現在情熱を注いでいるのは、リンクの上ではなくスクリーンの裏側、「映画製作」の仕事です。2014年の引退後、表現者としての新たな可能性を求めて単身渡米。2018年にトロントからラスベガスに移住。
アイスショーをやるために撮影チームを集めたもののコロナ禍で稼働できなかったため、そのチームで映画製作に進出。現在は自ら制作会社を経営し、プロデューサーとして映画の企画やキャスティング、さらには資金調達までをこなす多忙な日々を送っています。
アスリート時代に培った「物語を伝える力」が、映画というフィールドでも彼女の最大の武器となっているのです。
飽くなき挑戦を支える、多才な「村主家」の絆
そんな彼女の異色とも言えるセカンドキャリアを支えているのが、個性的で温かな「家族」の存在です。
日本航空(JAL)のパイロットとして世界を飛び回っていた父、そして常に一番の理解者として寄り添い続けた母(元CA)。村主さんが幼少期にアラスカでスケートに出会ったのも、父の仕事がきっかけでした。また、元フィギュアスケーターの妹・千香さんとは今も非常に仲が良く、ジャンルは違えど同じ「表現者」として刺激を与え合う存在です。
「やりたいと思ったことは、最後までやり抜きなさい」という家族の教えが、言葉も文化も違う海外で映画製作に挑む彼女の、揺るぎない精神的支柱となっています。
ラスベガスから新天地「テキサス州ダラス」へ
現在の活動の「拠点」についても、大きな変化がありました。長年、ビジネスと生活の基盤としてきたのは、エンターテインメントの聖地・ラスベガス。しかし、2026年現在は新天地を求め、テキサス州ダラスへと拠点を移しています。
ダラスは近年、ビジネスやスポーツの分野で急速に発展している都市です。村主さんはこの地で、映画製作のさらなる展開を目指すとともに、現地のリンクで後進の指導にもあたっています。
常に変化を恐れず、自分をアップデートし続ける彼女にとって、拠点を変えることは「新たな感性」を取り入れるための必然的な選択だったのかもしれません。
村主章枝さんスケートを始めたきっかけやアメリカでの生活について語る動画はこちら↓
村主章枝にまつわるトリビア3選
俳優・柿澤勇人さんとは「親戚」の間柄!
意外な豪華交友関係として話題なのが、人気俳優・柿澤勇人さんとの縁です。
実は、村主さんの実妹である千香さんの夫が、柿澤勇人さんのお兄さん。つまり、村主さんと柿澤さんは「義理の親戚」にあたります
。柿澤さんが舞台に出演する際は村主家からお祝いが贈られるなど、ジャンルを超えたトップクリエイター同士の交流が続いています。
伝説のプログラムと写真集、共通のタイトルは『月光』
村主章枝さんのキャリアを語る上で欠かせないキーワードが『月光』です。
2002年ソルトレイク五輪で世界を魅了し、「氷上のアクトレス」の名を不動のものにした伝説のプログラム曲がベートーヴェンの『月光』でした。
そして引退直前の2014年、自身の肉体美を芸術として表現した初写真集のタイトルもまた『月光』。競技者として、そして一人の女性として、彼女の転換点には常にこの言葉がありました。
日本女子初!ISUグランプリファイナルの金メダリスト
浅田真央さんや荒川静香さんの印象が強いフィギュア界ですが、実は日本人女子として初めて「GPファイナル」で優勝したのは村主章枝さん(2003年)です。
さらに、四大陸選手権でも史上最多の3度優勝を飾るなど、「日本女子フィギュア黄金時代」の扉をこじ開けた正真正銘のパイオニアなのです。
まとめ
今回は「村主章枝の天才的な経歴。現在の映画製作を支える家族の存在や拠点とは?」のテーマでお届けしました。
豊かな表現力で「氷上のアクトレス」と称された現役時代から、異国の地で映画プロデューサーとして奔走する現在まで、彼女の歩みは常に驚きに満ちています。
長年親しんだラスベガスを離れ、2026年からはテキサス州ダラスという新天地で再びゼロからの挑戦をスタートさせた彼女。そのバイタリティの源には、幼少期から彼女を支え続けたパイロットの父や、同じ道を歩んだ妹・千香さんといった「家族」という揺るぎない土台がありました。
フィギュアスケーターという枠を超え、クリエイターとして、そして一人の女性として進化し続ける村主章枝さん。彼女が次にスクリーンを通じて私たちにどんな景色を見せてくれるのか、その飽くなき挑戦をこれからも追い続けていきたいと思います。
最後までご覧下さりありがとうございました。
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